オステオパシーとは何か?
オステオパシーの創世記
オステオパシーは1874年6月22日にアメリカで医師アンドリュー・テイラー・スティルによって発見された徒手矯正医学です。 少年時代には慢性頭痛と胃弱で悩まされていましたが、ある日、頭痛を感じたのでブランコの座り板を外しロープに頭を載せて横になりました。すると目覚めた時には頭痛と胃弱が治っていたのです。このときの体験が後にオステオパシーの基本原理に発展していくのです。
成人するとDr.スティルは優秀な医師であり、カンザス大学の解剖学教授として教鞭をとっていたほどの実力の持ち主でした。南北戦争時代には北軍の義勇兵、従軍医師として働いてもいました。 しかし、二度にわたる伝染病の流行でDr.スティルは最初の妻メアリーと、長男、次男、後妻メアリーの連れ子を亡くしてしまうのです。二度目の流行したのは髄膜炎でしたが家族の中で助かったのは濃いコーヒーを愛飲しているDr.スティル夫妻と長女だけでした。この時にコーヒーの持つ利尿作用の注目しました。
打ちひしがれているDr.スティルのもとへ往診の依頼が2件ありました。一件目は幼児が高熱で寝込んでいるというものでした。往診すると容態が悪く今夜が峠だろうと推測しブランデーを1匙飲ませてみました。味覚が無いというので次々と飲ませていると致死量を超えてしまいました。翌朝呼ばれて往診するとベットの上に起き上がり回復した幼児を見つけたのです。家族が伝える事には「真夜中に大量の排尿があり、その後で熱が下がってきたようです。」
髄膜炎で大勢の患者を失くし西洋医学に自信を無くしたDr.スティルは当時の現代医学に見切りを付け新たな医学を模索することになったのです。 当時の現代医学は瀉血療法か水銀ベースの薬物療法が主流で、ジョージ・ワシントンは瀉血療法で命を落としたのでした。 Dr.スティルはインディアン居留地などで巡回医師として働きながら、インディアンの墓から骨を盗掘しその骨で研究を重ねたのです。 そして10年近い年月を掛けて新しい医学を誕生させたのです。あまりにも画期的な治療法だったので中々理解が得られず、Dr.スティルは孤立していき、大学、医学会から追い出されてしまいました。